立川飛行場。
もともとは、首都に近いところに軍の飛行場
をという事で1922年に立川の北側に作られました。昭和13年には所沢にあった研究部門が立川に移り、民間の飛行機会社や工場、航空学校、軍の燃料補給施設など、立川は、飛行機を中心とした、空の都「空都」となりました。そういえば、最近できた「グリーンスプリングス」という施設の階段は滑走路をイメージしていて、その階段の傾斜は離陸に必要な角度なんだそうです。
さて、私は子供の頃、「両親は立川飛行場で働いていた」と聞いていました。私は「立川飛行場」という一つのところがあったのだろうと思っていたのですが、そうではなかったんですね。飛行場の周りには、いろいろな施設があった。そう思って、よーく調べたら、母が持っていた手紙などから、両親が働いていたのは、立川飛行場にある陸軍航空技術研究所という所でした。陸軍航空技術研究所とは、どんなところなのでしょうか。そして、なぜ両親は、特に母は、陸軍の研究所で働くことにしたのでしょう。父は何を研究していたのでしょう。両親が在籍していた当時の陸軍航空技術研究所を調べてみることにしました。ここからは、問い合わせに少し時間がかかりそうです。

ところで、
このバッチは、母の遺品から見つかりました。なんなのかご存知の方、いらしたら教えて下さい。

参考書籍
「立川飛行場物語」
三田鶴吉