東京大空襲からきょうで77年。
当時のことを語り継ぐ人も少なくなってきています。
戦争。そのとき何が起こったのか。両親の歴史を紐解きながら、私なりに調べてみています。
さて、1922年に開設され今年で100年となる立川飛行場ですが、1922年は元号でいうと大正11年。こうして元号に直してみて、初めて、父も生きていたらちょうど100歳ということに気がつきました。
大正11年生まれの父は飛行場と同級生です。
父が所属していた立川飛行場の「陸軍航空技術研究所」。文字通り、飛行機の技術を研究するところなのですが、ここには戦争というものが介在します。
現在の立川は、再開発により、昭和記念公園ができビルが立ち商業施設ができと、「軍」の面影がありませんが、私の子供の頃までは米軍基地がありました。そしてその前はというと、陸軍の立川飛行場があったのです。
第一次世界大戦(1914〜1918)の後、飛行機の重要性が高まり、東京の近郊に飛行場を建設することになりました。「都心に近くて、平坦な土地で、鉄道も通っている」などの条件から、立川が選ばれたそうです。土地は住民から買い上げました。飛行場が完成し、岐阜県あった軍の飛行隊が、立川に移転。これが100年前、1922年です。フランスやドイツなどから飛行機を買い、技術者を招き入れ、ライセンス契約を結んで、軍官民共に、工場で飛行機を生産。もちろん技師によって日本制の飛行機の研究もされていきました。1926年(大正15年)には朝日新聞社の航空部ができ、1929年(昭和4年)には日本航空輸送の立川から大阪などへの旅客輸送が行われるようにもなりました。立川飛行場は民間の飛行場としても使われ、当時の立川は「空の都」でした。ただ、1928年(昭和3年)に陸軍航空本部が所沢から立川に移転した頃から次第に軍の力が強くなっていきます。その結果、立川飛行場は軍専用となり、1931年(昭和6年)には民間の飛行機は羽田に移転。立川は「軍都」となりました。1935年(昭和10年)、陸軍航空本部は「陸軍航空技術研究所」となります。中島飛行機や三菱、川崎といった民間の飛行機会社に試作させ、審査し、データを取り、失敗すれば、検証し……。兵器としての飛行機の研究が加速していきました。
ちなみに現在、立川で不動産業を手がける立飛ホールディングスは、起業当時「石川島飛行機製作所」という社名でした。月島で飛行機を作っていましたが、1930年(昭和5年)に立川に工場を移転し、1936年(昭和11年)「立川飛行機株式会社」となりました。陸軍の要請で終戦まで軍用機などを製作しました。
昨年、立飛に行き、当時のまま残されている倉庫に入りました。天井には年月と共に燻されたような木の枠あり、立川飛行場の歴史に触れたような感じがしました。
戦争では、爆撃機の他に偵察機など飛行機の需要は高まっていました。1941年(昭和16年)日米開戦後、陸軍航空技術研究所はさらに拡大していきます。1942年(昭和17年)10月、機体、燃料、通信など、それぞれの研究は独立した「研究所」になり、第一から第八までの8つになりました。例えば、第七研究所。ここでは、飛行士が上空でお腹が張らない食事は何かを研究したそうです。検証の結果、乳酸菌、納豆菌がいいとなったとか。この研究、今も活かされていると聞きました。
以下、各陸軍航空技術研究所の研究内容です。
第一陸軍航空技術研究所 飛行やプロペラ
第二陸軍航空技術研究所 原動機
第三陸軍航空技術研究所 武器、弾薬、その射撃、爆撃に関する兵器、航空化学兵器
第四陸軍航空技術研究所 通信兵器、電波を主とする航空兵器
第五陸軍航空技術研究所 光学兵器、計測器
第六陸軍航空技術研究所 兵器材料、燃料、脂油
第七陸軍航空技術研究所 航空被服、航空食糧、特殊施設、航空建築土木器具
第八陸軍航空技術研究所 航空衛生、航空心理に関する兵器、航空勤務者の身体検査
民間企業や帝国大学及び附属研究所などと連携を図りながら、陸軍航空技術研究所は、悪化していく戦況の中、次々と研究、審査に追われていたのかもしれません。
ここで父はどんな研究をしていたのでしょう。
ところで、日本には「空軍」というものは存在しませんでした。陸軍と海軍、それぞれが航空機の研究をし、生産して、戦っていたのだと思います。なぜ、一緒にできなかったのでしょう。
空軍という考え方はなかったのでしょうか。
それぞれの組織的なことが原因だと思いますし、海軍の航空部、陸軍の航空部という方が、当時は戦いやすかったのかもしれません。アメリカでさえ、空軍ができたのは第二次世界大戦後だと聞きました。
見当違いや間違いがありましたら、どうかご指摘いただけたらと思います。また、ご存知のことがあれば、ぜひ教えてください。どうぞよろしくお願いします。
参考資料
昭和記念公園は飛行場だった~立川飛行場に関する学習会の記録/立川市中央公民館
昭和記念公園は飛行場だった 第2集~立川飛行場に関する学習の記録/立川中央公民館
戦史叢書 陸軍航空兵器の開発・生産・補給/防衛庁防衛研修所戦史室
近代日本の研究開発体制/沢井実著
地図写真
近代史跡・戦跡紀行 H.P