あの日は金曜日でした。
いつもと変わらず、10時にJ-WAVEに出社しました。
ニュースや交通情報を伝え、お昼ご飯を食べ、
午後2時台は、午後3時のニュース+天気予報の準備に入っていました。

午後2時45分ごろ、ほとんどニュースの準備ができて、ほっとしていたその矢先でした。
午後2時46分。
ここから翌日の午前中まで、私の勤務は続きました。

あれからもう14年です。
現場の中には、その時放送に携わっていなかった人も多くなってきています。
J-WAVEで「そのとき」どうしたか・・・。
きちんと残しておく義務があると思いました。
細かい放送業務は、今後、必要な人に届くようにしたいと思っていますが
一般の方々にも、ご興味のあることをいくつか残します。

免震構造の高層ビルでの大地震
J-WAVEは六本木ヒルズ33階です
免震だからといって揺れないのではなく、揺れます。まるでシケに襲われた船に乗っているかのようです
足元がおぼつかないほど、グワングワンと揺れます。
幸い、上から物が落ちたり、家具設備が動くということはありませんでしたが
手に持つ原稿用紙がぐるぐる回って見えます
気持ち悪いです
そして、それが長く続きます。
ちなみに スタジオの窓からは
東京タワーの先が揺れているのも見えました

エレベーター
止まります。六本木ヒルズで止まりました
そして閉じこめられたスタッフは1時間半後に救出されました
その時パニックにならないように、心構えが必要です

・その当時・・・ですが、電話はつながりませんでした
家族にも、親戚にも。
連絡手段を決めておくことが必要です。
私の家族は、携帯電話のradikoで私の声を聴き、無事を確認したそうですが
私は、携帯電話の画面がやっと見られたのは、夜遅くでした。
スタジオに入ったまま、生放送を継続していて、自分のことは後回しになっていました
スタッフにも家族がいます。

食料
その当時・・・ですが、翌朝まで食事がほとんどありませんでした
スタジオで生放送。数時間たってやっと、ひとりのスタッフが
水の入ったペットボトルを持ってきてくれました。
「神」に思えました。
夜になって、少しスタジオから出られたとき、お腹がすいていることに気が付きましたが
ニュースルームに食事はありませんでした。
ニュースデスクが、自前のお弁当を少し分けてくださいました。
「神」に思えました。
普段から、準備は必要ですね。

 2011.3.12 の新聞

 のちにIBC岩手放送から届いた資料

FMラジオ局にできること。
その中のスタッフにできること。
私にできること。

引き続き考えていきます。