
父の軍歴の調査資料の到着を待つ間に、母の事を調べてみています。昭和初期、女性がタイピストととして、軍事施設で働く。これはよくあった事なのでしょうか。
戦前、女性の職業は、現在とは違い限られていたと思います。さらに様々な家庭状況の中、自分の思うようにならなかった人も多いと思います。その中で、母は10代でタイピストという職業を選んだ訳です。
詳しくはわからないのですが、その当時、タイピスト学校がいくつもあったようです。
NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」では、主人公が和文タイピストを目指します
。このタイピストを目指す時代設定は1937(昭和12)年頃です。母は主人公より5歳くらい年下かもしれませんが、和文タイピストは当時の女性の花形職業だったようです。英文タイプはアルファベット26文字が基本ですが和文タイプはそうはいきません。よく使う文字でも3000文字くらいあったといいます。その漢字をひとつひとつ拾って文章にするのは、大変な作業です。技能の習得、そして経験、色々苦労があったと思います。
女性のタイピスト。印刷会社、出版社などで活躍していたのは分かるのですが、軍の施設でも女性のタイピストが働いていたのは、本当なのだろうか。
インターネットで調べていたら、「陸軍登戸研究所でタイピストとして働いていた10代の女性が練習用に持ち帰った文書が、残されていることがわかった」という記事がありました。登戸研究所といえば、電波、無線関係から、毒物、薬物、生物兵器の研究をしていたことで知られています。明治大学に資料があるようですが、母と同じように、軍の施設で10代の女性がタイピストとして働いていたと知り、少し納得しました。母も同じように軍事機密をタイプしていたのでしょうか。
母からの戦争の話といえば、空襲の話、配給の話、叔父の戦死の話などで、残念ながら陸軍航空技術研究所での話を聞く事はありませんでした。ただ「技研」という言葉は何度か聞いたことがありました。
写真は、その「技研」、つまり陸軍航空技術研究所の山岳会のバッチと思われます。仕事仲間と山登りをしていたのかなぁ。桐の箱に入っていて、ナンバーリングされています。母が持っていたのはNo.3です。
